2冊目の本が出ました!

『今日から子どもと心がかよう魔法のことば』(明日香出版)

  「無料立ち読み」して頂けます!

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大事なのは、大人が子どものそのままを受けいれ、そのままで良いことを心から伝えること。

こうすれば子どもは伸びる、家族みんなが幸せになる。

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【目次】

 

はじめに

第1章 はじめに伝えなければいけないこと

・ キーワードは「自己肯定感」
・ いまのお母さんは昔とは環境が違う
・ お母さん自身の「自己肯定感」を上げる
・ 子育ては「引き算」ではなく「足し算」で
・ 子育てに関して「手遅れ」はありません

第2章 知識があれば、それが安心と自信につながる

・ 「変える」のではなく「引き出す」
・ 「理想的な親」であってはいけません!
・ 家の外に頼れる相手を持ちましょう
・ 親が代わりにやってすまさない
・ 安心感と信頼感のあるコミュニケーションとは?

第3章 「ありがとう」は魔法の言葉 ~ 未就園児(2~3歳)に対して

・ 「魔の2歳児」対処法 反抗は成長の証
・ 我慢はさせる? それとも、させない?
・ 否定語は使わない!
・ 知的刺激は楽しさと一緒に与える
・ 「外的動機づけ」と「内的動機づけ」を上手に活用

閑話休題1 お父さんの転職を自慢

第4章 ルールや決まりを教えよう ~ 幼稚園児(4~5歳)に対して

・ たくさんいろんな遊びをさせる
・ 「勝ち負け」を経験させる
・ マンガやゲームは買い与えてもいい?
・ 子どもがきたない言葉を使い出したら
・ きちんと受けとめてもらえる叱り方とは?

閑話休題2 心に届くメッセージ

第5章 社会と関わる第一歩のお手伝い ~ 低学年児(6~9歳)に対して

・ 子どもは甘えさせる? 甘えさせない?
・ 自分の想いを言葉にさせる
・ 「子どもサッカー」をさせない
・ たずねられたことを流してはいけない
・ お小遣いはいつからどれくらい与えるべき?

閑話休題3 サンタクロースは実在する?

第6章 1人の人としてつきあう準備を ~ 高学年児(10~12歳)に対して

・ 「礼儀」はなぜ必要か
・ 上手な褒め方と上手な叱り方は同じ理論で
・ ミスをなくさせるとっておきの方法
・ 勉強の苦手な子どもから勉強を習う
・ 自分の子どものタイプを知る

第7章 最後に知っておいてほしい大切なこと

・ 「放任」と「過干渉」はしてはいけません
・ 「頑張れ!」と言い過ぎない
・ 「子どもは国の宝」ならお母さんも…

 

 

 

【はじめに】

 

私は現在42歳。私立の中学校で教師をしています。
小学生の娘が2人いますが、実は、35歳のときに、12年間勤めていた大手総合商社を辞めて教師に転職しました。
そのとき、すでに娘たちは両方とも生まれていましたが、妻と何度も話し合いを重ねた上で、転職の決断をしました。
特に最初の2年間は非常勤講師として働きましたので、年収は商社勤務時代と比べて激減しました。

いまになって振り返ってみると、「よくもまあ大胆な決断をしたものだなあ」「よく離婚されずにすんだなあ」とも思いますが、そこまでして教師に転職したのには訳があります。

私はもともと大阪教育大学の出身で、英語の教員免許は持っていたのですが、大学時代に奨学金をもらって行ったアメリカの小さな大学で、ちょっとした商売をしたことがきっかけでした。
「自分の思いつきが商売になる」という面白さに魅かれ、「それならいっそのこと何でもできる総合商社に入ろう!」と大手総合商社に入社しました。

2年間の社内選抜海外留学を終え、入社して5年くらい経ち、東京の本社でバリバリ営業に走り回っていたころ、急に世の中がおかしくなってきます。
そう、あの「神戸連続児童殺傷事件」、通称「酒鬼薔薇事件」が発端だったと思います。
それまでも中学生が「被害者」になる残虐事件はありましたが、中学生が残虐な事件の「加害者」になるという事例は初めてだったのではないかと思います。
そして、それに続くかのように、ほかの中学生や小学生までもが残虐な事件を起こすようになっていったのです。
また、さらに数年後には「附属池田小事件」が起こりました。
記憶力のよい方はすでにお気づきかもしれませんが、私の出身大学は大阪教育大学。「附属池田小事件」が起こったのは、大阪教育大学附属池田小学校。実は、私が教育実習を行なった大阪教育大学附属池田中学校のすぐ隣だったのです。

もちろん、そのとき私はすでに商社マンになっており、事件現場の近くにいたわけではありませんが、同僚や先輩、上司、お客さんと飲んだりするときにも、いつも「嫌な世の中になりましたね」と話していました。

そして、
「どういった環境、子育て、教育がこのような犯人を育ててしまったのか?」
「逆にどうしていれば、こんな残虐な事件を起こすような人間を育てずにすんだのか?」

を考えるようになりました。
それから数年たったある日、私の会社の後輩が立ち上げた異業種交流勉強会の場で、飲み会だけを行なう日があったんです。
3次会か4次会かも定かではなく、参加者はみんなけっこうベロベロに酔っぱらっていたのではないかと思いますが、「いまのままの日本ではダメだ」という話になってきました。
そして突然、参加者の1人が言いました。
「俺は、まだ若いけど、すでに会社を興して社長をやってる。この会社をガンガン大きくして、俺が経済から日本を変えてやる!」
また、別の参加者が言いました。
「俺は、政治家を目指してる。将来は総理大臣になって、俺が政治から日本を変えてやる」
それを聴いた私は、隣にいた仲間に熱く語りました。

「どんなに経済状態がどん底でも、どんなに政治の状況が混沌としてても、そんななかでたくましく生きていける人間をつくるのは、教育しかないよな!」
そう言った瞬間、改めて気づいたのです。
「あ~っ! 俺って、教育がやりたかったんだ!!」

その翌年、私は中学校の教師に転職していました。
日本を変える。世の中を変える。それができるのは教育から。
私はいまもその考えが正しいものであることを疑っていません。
しかしながら、学校教育以前にすべての人間が、母親もしくは母性の影響を非常に強く受けるのも事実です。

そんななか、「子どもを育てるという責任が怖い。だから子どもを産まない。そして、結婚もしない」という選択をする女性が増えていると言われます。
ですから私は、そんななかでも実際に子どもを産み、育てている世の中のお母さんたちを応援したいのです。
また、結婚や子育てを避けている女性の方々に、結婚や子育ての素晴らしさを知っていただきたいのです。

この本は、そんな私が教育現場での実践や脳科学に基づく実践心理学NLPの理論を通して学んだことなどを土台として書いた、世の中のお母さんたちへの「アドバイス集」であり「応援歌」なのです。

この本を読んでいただくと、きっと子育ての楽しさ、素晴らしさをご理解いただけ、ご自分の行なっておられる子育てに自信を持っていただけるようになるでしょう。
そして、お子さんのことだけでなく、お母さんとしての自分自身のことも好きになっていただけることと思います。

なかには一部、独特の用語や論理的な説明も登場しますが、できるだけ明快に噛み砕くと同時に、具体例を入れてお話させていただきますので、どうぞご安心ください。
また、本書は知識の蓄積や理論の習得を目的としたものではありませんので、「理解」して終わらせるのではなく、「なるほど!」と思ったら、ぜひともすぐに行動に移してみてください。

この本を、皆さんの実際の子育てに少しでもお役立ていただければ幸いです。
そして、そのことこそが世の中を変えていく大きな一歩になるのだと信じています。


最後に、この本を京都の母、亡き父、義母、義父、そして妻と2人の娘たちに捧げる。

「人はかんたんに変われる!」

2010年12月21 16:00〜18:00  インタビュー by JAFEI 

(JAFEIのホームページより原文ママで転載させて頂きました。)

 

13年間総合商社で勤めたのち、酒鬼薔薇事件など中学生が残虐な事件の加害者となった事例が続いたことをきっかけとして、世の中を変えるために転職され、現在は中学校の英語教師を務める傍ら、NLP(神経言語プログラミング)などを用いて、「世の中を変えるために教育を変える!」「教育を変えるために教師を変える!」ことを志している方です。学校教育にも親和する形で、実践的な心理学NLPやProjectAdventureの手法等を用いて、学校内はもちろん、学校外でも目覚ましいご活躍をなされております。

 

本文を読む前に、以下の動画をぜひご覧下さい。

 

TSUTAYAビジネスカレッジ『第一回全国講師オーディション』

全国第四位&特別賞受賞(10分間の動画です

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1、教育問題に対して何をすべきか

2、よく議論される問題をサンタが読み解く

3、NLPのマインド

4、NLPの具体的手法

5、モチベーション理論

6、解決策は極めてシンプル

 

 

1、    教育問題に対して何をすべきか

 

——現状の教育が、どうゆう役割を担っているか、そして理想的な姿とはどのようなものなのかをお話しいただけますか。

まず、現在の日本の教育は、教育の役割を果たしていないと思います。そして、その理想の姿に関しては、2段階ある義務教育とそれ以降で分けて話します。

義務教育に関しては、数は少ないですが、そこからもう社会に出て働く人もいます。だからここでは、世の中に出て行くための最低限の武装をさせてあげる教育が必要だと考えます。大人になった時の社会保障、年金などについては、絶対に中学生になんか教えないのが今の教育です。しかし、理解できないとしても、「困った時はここに駆け込め!」程度でも教えておけば十分なはずです。

それ以降の教育に関しては、いろいろ議論があるのですが、大まかに言うと、職業教育的なことをやった方がいいのではないか、という意見と、やはり学校はアカデミックであるべきだという意見があります。しかし、これらは一つに出来るものだと考えています。職業教育ってゆうと、ドイツのマイスターのように職人さんを育てるためというイメージがあります。しかし、本当はコミュニケーション、交渉、目標を設定して達成していくプロセスなど、様々な分野があり、しかもこれらはアカデミックの延長線上で教育できるものです。もっというと、これらは小学校から出来るものです。今の学生は、小学校のうちからそうゆうことをやっていなかったから出来ないだけなのです。子供の頃からいろんな職業を子供達に見せていくという話には大賛成なのですが、実際は見せるだけでは何も起きないと思います。なぜなら、情報は発信だけしても、受ける側に準備がないと、響きません。よって本当に大切なのは、小学校に入るよりも前の家庭教育の段階から、人と違うことをやってOK、失敗大歓迎という教育をすることです。

それに付随してお話ししますが、私は新卒一括採用に大反対です。もちろん企業にも長くいたので、企業側の都合とかも分かるし、学生にとって都合がいいのも分かります。しかしこの制度は、「失敗したら終わり」ということなのです。一度就活に失敗した人というのは、翌年にもう一回留年とかしない限り、新卒の名前を消されてしまう。しかし、世の中ですごく活躍している人というのは、数多くの失敗をし、そしてそれを乗り越えて来ている人です。ユニクロの柳井さんの言葉にも、「99回失敗して1回だけ成功」というのがあります。何度も失敗して這い上がって来た人の方が力もあり、そうゆう人たちが失敗の重要性をうたっているのに、依然として社会は失敗を認めようとしないのが現状です。大学受験で失敗した、企業が倒産したなど、失敗=失意のどん底となり、自殺してしまう人までいるのです。

 

——そういった理想の教育に変えて行くためには何が必要でしょうか。

第一に教師を変えなくてはならないと考えています。現在もその思いでいろんなところへ出向き、教師教育を行っています。私は「教師は全生徒を等しく平等に扱わなければならない」という代表的な教師の考え方を問題視しています。これは、言った瞬間に教育を放棄していることになると思います。よく、贔屓する先生はいやだ、という人がいますが、僕ははっきり「贔屓をします。」と宣言しています。依怙贔屓はしません。贔屓という言葉の本来の意味は、自分のお客様を大事にすることで、40人の生徒がいたら、40通りの贔屓をすればいいだけのことです。先生達は面倒なのかもしれませんが、40人いたら40人に同じような教育をすることが正しいことだと信じ込み、人数分の異なる教育をしなきゃいけないという発想自体がない教師が多いのです。ここが前提として変わってくることで、一人一人の失敗に対して、それを許容することが出来るようになり、これだけで教育というのはガラッと変わるはずです。

しかし、これをやるためには教師側にすごいキャパシティが必要です。いま教師になっている人は、「画一化」という教育をまさに受けて来た人で、また学校にいい経験、いい思い出などがある、道を外していない人です。そこに根本的にキャパの限界があって「自分が出来ること」と、「人に教えるということ」は全然別物であり、特に“優秀な”先生には、子供達が「なんで分かんないのかが分からない」ので「おかしい」と思ってしまう人がいるのです。これが勉強に限らず、発想とか生き方とか、すべてにおいても同じなのです。そうゆう人から見ると、学校で勉強について来れない子、すごくスローな子が、“クズ”に見えてしまう。だからホントにGTOとか、ああゆう人が教師になるといいだろうなと思っています。

 

2、    よく議論される問題をサンタが読み解く

 

——教員採用試験ストレート組じゃなくて、一回社会に出て働いた経験のある人を採用するという考え方は正しいのでしょうか。

文部科学省にも、「学生に対しては、いろんな職業を見せることは今やって来ているが、見せるだけでは不十分なので、今後出来るだけすべての学校の先生に企業に何年か行って働いてから、また教師に戻ってもらおうと考えている」という意見をお持ちの方もいるようです。

これと同じ話なのですが、一般企業経験を積んでから教師になりたいという学生がいます。私にこれが必要かと聞いてきたら、必要ないと答えています。理由は二つあります。一つ目は、数年間働いて教師になる前提なのであれば、まず企業に迷惑だということ。それから二つ目は、このあと教師になるって決めているのであれば、仕事に対する本気度が低いから、それは経験にならないということです。ちょっとは経験になるかもしれませんし、今の先生たちよりはいい先生になるかもしれませんが、これをもって「社会を知った」なんて考えてしまう方が、余計に誤解を招きます。この仕事がうまく行かないなら、生活していけない、そのくらいの真剣さでやって、その結果として、ある瞬間にふと気づき、「教育をやりたい」と思って教師に転向することこそ、意味のあることです。

ストレートで教師になった人の中にも素晴らしい先生も入れば、一般企業の経験を積んだのに全然だめな先生もいます。では、何が違うんだろうと考えると、「教師になった後も、他の世界と繋がり続けているかどうか」だと思っています。閉鎖的な社会である学校の中だけで生きている人は、何が正しいのかの判断基準が偏ってしまいますが、外の世界と繋がっていると、自分の考えを正すことができるセルフチェック機能を常に働かせることができます。しかし、忙しさのせいで、こうゆう繋がりがなくなっちゃっている人が、学校の先生なのです。外とのつながりを持続させていくことができるならば、直接教師になっても大丈夫だと思いますよ、と僕は言っています。

 

——教育が理想の姿に近づくためにはどのような段階を経ていく必要があるかという問いに対しての私たちの仮説があります。教育問題に関しては、大まかにいうと二つのアプローチが必要だと考えていて、次の世代の子達をどうするか、そして“いま”の世代の子達をどうするかです。

まずは大学における産学連携を推進し、必要とされている人材像というのを浸透させて行きます。そして今度はそれを大学や社会に出るための人材を育てる機関である高校に広げ、そして中学校、小学校と、いまの世代を上から変えて行くべきではないかというのが、僕たちの一つの仮説です。

それの難しいところは、企業が学校に参画していっても、そのレベルに合った子が下から来ていないということです。大学への進学者が昔よりも格段と増え、就職群の数とマッチしていないし、しかもその中にはすごくレベルの低い大学生も大勢います。小学校の算数のやり直しからやっている大学もあるくらいです。そんな状況で産学連携を押し進めても、トップの学生達にはうまく機能するかもしれませんが、多くの学生にはマッチしません。結局ばかばかしくて企業側が堪えられなくなってしまいます。よって上から順にやっていくというのはかなり難しい、だから“同時多面的”にやっていく必要があります。何年も前から、世の中が求めている人間像と、学校を出た人の人間像が食い違っているという話はされています。それでも学校は変わってこなかったし、そもそも変わる必要性を感じていなかったかもしれないのです。なぜかというと、人材は会社が育ててくれていたからです。しかしいまは、会社が人材を育てる余力がなくなってきて、会社で教育すれば即戦力になり得るようなまともな人間を求めるようになりました。でも、そのまともな人間としてのコミュニケーションの力なんてのは、小学校のうちから教えることができることです。しかし、企業の人がいきなり下から行くというのは大変でしょう。だから私はいっぺんに小中高大すべてに入っていく必要があると考えています。みんなで小学校、中学校、高校、大学と、学生をパスしていく、その回していけるシステムが出来上がれば、やっと道が開けてくるのだと思います。

そこでまさに私がやろうとしていることは、小中高大の先生達、そしてこれから先生になる学生達をごっちゃにしてまとめて行う「教師教育」なのです。ここで先生達の意識を変えることができれば、一気に教育が良くなると思っています。学校の中で1人か2人本当に意識が変わるだけで、学校は変わります。その先生の教育を受けた学生も変わることができます。何も企業の人が学校に来て教育をしなくても、今まさに学校で働いている先生や、これから先生になる人たちの意識が変われば、一気に変わるはずです。しかも、意識が変わった人たちを連携させておけば、よりいっそう効果があるはずです。これをするためには、まずは一回教えなければならない。でもそれは、目を開かせてあげること、気付いていないことに気付かせてあげること、本当にそれだけで何も難しいことではないのです。一年も半年もかける必要はありません。

しかし私が1人で日本全国を回ることはできないので、たくさんの勉強会を開き、私と同じような考え方を持ち、私をどんどん越えてくれるような仲間を増やしているのです。そして彼らが正しい教育を行っていけば、その成功例が全国に広がり、各学校に広まっていくのです。ねずみ講のように、悪い病気のように伝染させようとしてるところです(笑)。

 

3、    NLPのマインド

 

——意識の高い先生達は、すぐに変わっていくかもしれませんが、中には言うことを聞かせるために首を絞めてしまう先生もいました。そういった先生達にまで広げるためにはどうしたらよいのでしょうか。

そうですね。勉強会をしていて思うのだけど、「勉強会に来る」というマインドがあるだけで、その先生はOKなのです。問題なのは、そうゆう会に来ない先生や、そういったものに興味がない、または徹底的に否定している先生です。しかし、教師自身を変えることと、教育を変えることは両立できるものです。学校の先生が生徒をうまく導ける状態ってどうゆう状態だと思いますか?

それは、答えは一つしかなくて、先生自身がハッピーな状態なのです。そして、子供達に「自分のことを好きになれる教育」をしてあげられる人なのです。日本人は世界の他の先進国と比べて自己肯定感が低いことが有名です。それは「自分を嫌いにする教育」をしてしまっていることが原因です。それが、母親の子育てから学校教育まで進んでしまっています。ここで問題なのが、世の中の母親だったり、学校教師というのが、自己肯定感が低い、自分のことを好きじゃない人が多いことなのです。自分のことが好きで、ハッピーで、それを周りの人に広げていこうという発想がないから、余裕がなくなるわけであって、極端な話で言うこと聞かなかったら首を絞めたりしちゃうのです。そこで、まずは先生達をハッピーにしてあげることです。「仕事がいやでツライな」って思っている教師に「楽しいな、私いま素敵かも。」と思えるようにしてあげることが、教育を変えていくことに繋がっていくのです。全く同じことをやるだけで、教師にも教育にも影響を与え、両立することができます。機嫌の悪い不幸なお母さんからは絶対、機嫌の良いハッピーな子は生まれないのです。これらは全部繋がって循環しているものなのです。だから、私は教師教育と母親教育を一生懸命やっています。

 

——私たちも学校教育を変えるのと同時に、家庭教育も変えていかなければならないと考えているのですが、母親父親世代は昔の「画一化」教育を受けて40、50年育って来てしまっているため、なかなか変わらないと思うんです。だから現状の仮説としては、いまの子供達をしっかりと育てて、彼らが親になった時、つまり世代交代によってしか家庭教育はよくならないのかと考えています。

いつも言っているのですが、教育とは「人を育てる人を、育てること」です。将来は親になるわけだから、そこまで考えて教育をしなくてはならない。いまの親は、誰かが育てちゃったのです。しかし、ここで大事なのが「人間は簡単に変われる」ということです。「変わらない」と言った瞬間から「変われない」ようになっちゃうから、注意した方がいいです。首締めちゃうような先生でも変われます。人生がハッピーだったらそんなことしないはずなので、自分の首を絞めちゃってる何かがあるんです。

しかし、いま私は発想が普通の状態からはずれてしまっているのは認めなければなりません。世の中の人とこの問題について語る時とは違う角度、NLPの角度で話をしています。「人間なんて簡単に変われるよ」その前提があるかないかで全然話の中身が変わってきます。しかし、私はNLPの技術を学び、人間は簡単に変われることを知っているので、自信を持って変われる前提で話をすることができます。

 

——「生まれが1%、育ちが99%」という考えについてどう思いますか。私がこの1%と言っている部分は、基本的に人間が入っているこの「ハコ」だけで、身体的特徴や、見た目は変えられないと思っています。しかし自信満々に、親からもすごく愛情を注がれて育って来た子供は、結局顔も自信があるようになっていくとは思っています。

私はその通りだと思います。むしろ育ちが100%だって言っていた時期があるくらいです。身体能力も1%に当てはまると思いますし、それがもちろんメンタルに影響はあると思います。

しかし、そこは本当に小さいんです。無視できるくらい小さいはずです。「生まれが1%育ちが99%」という考え方が正しいかどうかは分かりませんが、私はそれに賛成です。

 

4、NLPの具体的手法

 

——先ほど親はなかなか変わることができないと言っていたのは、40年、50年積み重ねて来た「育ち」はやはり強固なものだと思ってます。それこそサンタさんのお話を直接、一対一で聞く機会があり、その時は「納得!わかる、その通りだ!」と思うかもしれないけど、実際その場からは慣れて家に帰ると、実践できないのが常だと思います。

それは、その人が実感していないからです。知識でなるほどって思っただけなのです。一回バーンと体験し、「変われるんだ!」って実感した瞬間に変われるのです。

では、40年生きて来た、その積み重ねってどうゆう形で彼らの中にあるのだと思いますか?人間の「いま」を形作っているものって、すべて過去の体験や経験に基づく「記憶」なのです。過去の体験や経験という事実はかえられませんね。しかし過去の体験・経験の「記憶」ってのは、自由自在に書き換えられるのです。もっといいますと、覚えている映像でさえ自由自在に変えられるのです。しかも、10分くらいで誰でも出来るのです。

ちょっと専門的な話は飛ばして、知識のところだけお話しします。実は、NLPにおいて物事の記憶の書き換えには二つ方法があります。それが「リフレーム」と「サブモダリティ・チェンジ」です。

「リフレーム」は、物事で何かトラブルがあった時などに、その見る方向を変えることです。例えばコップは横から見たら台形ですが、上から見たら円です。それと同じで、物事はちょっと見る角度を変えれば全然違うものに見えてしまいます。もう一つ例を言うと、私は幼児生のアルツハイマーかと思うくらい記憶力が悪い子供でした。アニメを見ていてCMの間にトイレに行って、戻って来たら、もう何を見ていたのか忘れてしまっているくらいです。ちゃんと番組が始まったら思い出せるので、アルツハイマーではないのですが(笑)。この記憶力が悪いせいで、自分の足を引っ張ってしまったことがたくさんありました。しかし、「あなたの長所はなんですか?」と聞かれたら、「イヤなことはすぐに忘れられ、何度でも同じことで感動できることです」と答えます。話している事実としては、「記憶力が悪い」ということなのですが、捉え方の違いによって、良いものにも悪いものにも考えられるのです。ポジティブシンキングも同じようなものですね。これを頭の中だけでなくて、習慣化し、それが実感になってくると、価値観そのものが変わって来ます。

「サブモダリティ・チェンジ」はやり方から説明します。まずは自分の苦手な人を頭の中で思い浮かべてください。ここで目をつぶってもらって、質問をしていきます。その人の映像は白黒か、カラーか。平面か、立体か。静止画か、動画か。音は何か聞こえているか。聞こえているならその人の声かどうか。どっちの方向から聞こえているか。速さ、ボリューム、声の高さはどうか。距離は近いか遠いか。上の方に見えているか、下の方か。顔だけか、全身か。これをすべてチェックした後に、それを一つずつ変えていくのです。眼前に迫っていた顔を遠くの方にやって、全身にして、動画を静止画にしてしまう。こういったことをやっていくうちに、この人を苦手と思っていたこと自体が、ばかばかしく思えて来てしまうのです。ここでクスッと笑ってしまうと、その記憶が上書きされます。その人のイメージや記憶で苦手だと思っていたイメージが上書きされると、苦手意識がなくなるのです。これによって体験経験は変えることはできないが、その記憶は変えることができるのだと言うことに気付きます。人間の価値観、人間のパーソナルイメージ、アイデンティティーも、大変かもしれませんが変わります。40年生きて来た自己肯定感の低いお母さんでも、自分のいまの状態はそのままでOKなんだと認めてもらえれば、自分が幸福感を得られるようになり、子育ても喜びであると感じられるようになります。ここまでくれば、教育はガラッと変わります。

 

——実際それを広めていくとなると、サンタさんのようなNLPを駆使する方が、各家庭の母親一人一人に実感させていくということになりますか。

それを説明するために私の話をしますが、私はちょうど一年くらい前まではNLPなんてものは全く知りませんでした。去年の12/23に1日のセミナーに参加し、その後2月から一気に勉強して、いまではお金をとってセミナーもするし、治療も出来るようになったのです。私自身もあっという間に変わることができたのです。しかし母親達が勉強会に参加するというのはハードルが高いかと思うので、まずは気軽に読める「母親のための教科書(仮)」という本を出版します。出版した後にDVDも出ます。母親を変えると、世の中は変わると思っています。

 

——先ほどのイメージを変えるというお話なのですが、それを本当にやるとなると、なかなか難しいのではないかとも思うのですが。

確かに、イメージを「変えます」といって大抵の人が変えないものです。しかし、単純なところで実感してもらった例として、学校のスポーツ大会の直前に行った「全員足が速くなる」ワークや、5分でみんな体が柔らかくなる体験をさせるワークがあります。いままで正しいイメージトレーニングなんてやったことがないような人が、正しいイメージトレーニングのやり方を覚えるだけで、ガラッと変わることもあるのです。

 

——世の中で良く言う「イメトレ」ってのは正しいイメトレではないのですか。

マンガの「バキ」では、イメージトレーニングでカマキリと戦うそうです。一流のスポーツ選手のイメージトレーニングは、10分で汗だくになります。一流の格闘家のイメージトレーニングはダメージを受けて起き上がれなくなるまでやります。つまり、イメトレは五感を使わなくてはならないのです。世の中では映像を思い浮かべるだけのイメトレが横行しているのです。音を聞き、体温を感じながら五感をフルに使えば、人間の脳は、実体験とイメージ上の体験を区別することができないのです。レモンを想像してください。上を向いて、口を大きく開けて、その上からレモンをたっぷり搾ります。それだけで口の中が酸っぱくなり、つばがうわーっと出て来てしまうでしょう。明日、1,000人の前でプレゼンをしなくてはならなくなったら、当然緊張するでしょう。しかし、頭の中で100回成功するプレゼンをイメトレしておけば、明日のプレゼンは101回目なのです。100回成功していたら、101回目はビビりませんよね?

これが出来るようになると、コミュニケーション能力向上、願望実現、そして状態管理が出来るようになります。状態管理能力を教師が身につけ、いつもハッピーでいれば、生徒達の状態管理も出来るようになります。そうすれば教育はガラッと良くなるでしょう。

 

——人間の行動も、心理状態も、いままでの自分の体験・経験がすべて正しいものだと解釈し直していくことができるのでしょうか。

そこで一つ難しいのが、人間には絶対それに限界があることです。例えば、車にひかれた経験や、子供の頃に犬に追いかけられて噛まれた経験は、良い経験だったと解釈できるかといったら絶対に無理です。これは恐怖心や苦手意識に繋がっていますが、逆にこれを良い経験と捉え直すことは、危険なのです。なぜならば、人間は自分の生命を守るため、二度と同じ目に遭わないように恐怖感をもつからです。そこで大切なのは、自分の中にあるすべての物事は、前向きな意図の元に成り立っているというのがNLPの発想です。人を嫌うことも、腹が立つことも、実は肯定的な意味があるのです。だけど、それが人を苦しめている可能性もあるから、それはなくしてしまっても良いのではと考えます。

例えば、犬恐怖症に関していえば、恐怖感を感じるようになって犬に近づかなくなったら、噛まれなくなった、これに関しては「ありがとう」と言えるが、こんなに怖かったら実生活においても差し支えがあるし、子供が犬を飼いたいと言い出したら困る、そんなときは「いままで私を守ってくれてありがとう、だけどこれからはいらないからね」といって、良い記憶へとサブモダリティ・チェンジをするのです。これをリフレームでやろうとすると、危ないポジティブ・シンキングにしかなりません。

カレー恐怖症の治療の例(URLを紹介)では、脱自己同一化した自分をさらに脱自己同一化しています。空間や時間をすべて使ってリフレームは行うのです。それをすべて自分でできるようになると、感情のコントロールが自由自在で、例えば人とぶつかってイラっとしたときでも、その映像自体を急に白黒にしてしまえば、なんだか瞬間的に怒りが収まるといったことが出来るようになります。人によって五感やその要素に対して得意不得意があるので、その変え方は人それぞれです。

 

——より具体的にお伺いしたいのですけど、例えば、車にひかれてしまって、車いすになってしまった人に対して、サブモダリティ・チェンジを行うとしたら、どうするのでしょうか。

ひかれた時に神経系がやられてしまって、歩けなくなってしまった場合は、医学的に直さなければなりませんが、実は、機能的には何の問題もないはずなのに、歩けなくなってしまっている人がたくさんいるということです。いくら立つ訓練をしても、立てなくなってしまっている、そんな時にはちょっと意識の次元を変えてあげます。例えば、治って歩けるようになったら、ハワイに行きたいという話をふくらませます。具体的なイメージをどんどん膨らませていくと、脳が既に立てる前提で回り始めるので、立てやすくなるのです。

 

——ちょっとだけ話を戻しても良いですか?NLPのような考え方を知り、子供がすごくモチベートされ、そんな彼が医者になって病気の人たちを助けたいと考えるようになったとします。そのとき、医学部に進学するために必要だからと、全然関係のない勉強も一生懸命やるようになると思いますか?

目標のために必要であれば、やると思います。やらなくてもいい方法があるならやらないだろうけど、それしかないのであればやると思いますよ。多少の我慢は問題なくするだろうし、逆にがんばっている自分に酔えるものだと思います。逆にその方法が簡単過ぎると、夢のレベルが低い様な気がして、がんばれなくなるかもしれません。大変であればこそ燃えるものだと思います。

確かに「目標と今やっていることが繋がらないツラさ」はあります。そこで目標をもっと大きく具体的なものにしようとすると、いまの現状と、行動とのギャップが大きく明確なものになってしまい、余計にネガティブになってしまう危険性があります。この場合は、まずは目の前の勉強自体が楽しいものである、勉強自体が目標になるように変えてあげなければなりません。

手が届かないからこそがんばるというモチベーションは当然あると思うのだけど、楽しいから、気持ちいいからやることってたくさんありますよね。モノを覚えるのが楽しい、知らないことが分かるのが楽しいというのは、お酒やタバコがやめられないのと同じで中毒のようになります。だから、私たちは楽しい勉強の仕方を教えてあげなければなりません。

 

5、モチベーション理論

 

——今の学校教育の問題の一つとして、「最高峰」と称される東京大学がテストのみで選考をしていて、それが今の受験生の目指すべき姿になっていることだと思います。しかし、今日同席している者も東工大で、世間から見たら勝ち組かもしれませんが、僕たちは自分が受けて来た教育に全く満足していないんです。大学に入るために必死に勉強して来たのに、なんでこんなつまらない授業を毎日受けて、無理矢理単位を取らなきゃいけないのか本当に理解ができないのです。大学内部の実状を知らないまま、外部の人たちは「東大に入るのはすごい、東大に入ったら間違いない」と言うのです。一般企業に関しても、とりあえず東大って履歴書についていたら面接までは呼んでみようかなという傾向があるのです。

何か一つの目標を達成した後って、一瞬だけ自己肯定感は高くなるかもしれませんが、空しさが残ります。受験が終わった東大生はそれが顕著なのです。また、一流企業に務めている人や、官僚など、世間を動かしている人達とも共通なのですが、モチベーションの発端が「欠乏感」なので、総じて自己肯定感が低いのです。なぜなら一度目標を達成したら、次の目標を設定しなければならず、一生満たされることがないからです。特に「会社命」みたいな人達は会社に自己同一化しており、企業がつぶれた瞬間に自分を自己肯定するものがなくなるのです。

この人達を変えるためには、「満足感」からモチベーションを生み出すように変えなければなりません。満たされているところからやることの方が心の余裕があり、より良いものを作ったり、クリエイティビティを発揮しやすくなり、スピードはゆっくりかも知れませんがより次元の高いものを実現しやすいのです。私の話をすると、NLPを学んだことで、まず自分自身がハッピーになれた、そして自分のことがより好きになれたのです。そしてこのNLPをみんなに伝えたくて仕方がない、これが私のモチベーションです。それと同じで、すごいハッピーな人って、周りの人をハッピーにしたくなるし、勝手にハッピーにしてしまうと思います。

 

——ダニエル・ピンクが書いて、大前研一が訳した「モチベーション3.0」や、ウィリアム・グラッサーの「選択理論」など、NLPには他の理論ともかなり重なる部分があるなと感じました。

師匠も言っていましたけど、NLPは何も新しいことは言っていなくて、いろんな理論や学問、宗教などで言っていることを分かりやすく整理しているだけなのです。だからNLPは単なる一手段であって、人間の本質が分かればどんな勉強でも良いのだと言っていました。だけどNLPは非常にシンプルに分かりやすく整理され、しかも使いやすくなっているから、彼は今これを教えているそうです。

ビジネスに特化したNLPというのもありますが、私の教えるNLPは結局「まず自分が変わること」なので何にでも応用できます。そこから、子供に対する声の掛け方がかわるだけで、見違えるくらい子供が生き生きして来たりすることもあります。だから、いまの先生達に知って欲しい、そしてすべての教職課程に入れて欲しいのです。

また、私の師匠が立派なのは、「一刻も早く習いにくるのをやめなさい」「本を読むのもやめなさい」といっていることです。なぜならば、一刻も早く、何にも依存することなく、自分自身で幸せになる方法を身に付けて欲しいと願っているからです。「師匠!」「先生!」といって尊敬してしまっていると、それは依存に繋がるし、自分が考えていたことに反することを「先生」がしてしまった時に、幻滅し、それが憎悪に変わってしまうかもしれません。だから、私も「木下様」とか「木下先生」とか言わないで、「サンタさん」って呼んでと言っているのです。私は仲間を増やすことが目的だから、同じ立場で、むしろどんどん私のレベルを越えていって欲しいと思っています。私は、「一番教師らしくない教師」になることを常に目指していますので。

 

—−例えば、外資系の投資銀行に勤めている方なんかを例に出すと面白いかと思うのですが、彼らの場合はお金が大きなインセンティブになっていて、もっと大きい取引、もっと稼げる案件というハングリーな思考回路になっていると思うのですが、彼らを「自己満足」を発端とした、ハッピーになるモチベーションに変えるとしたら、どうすれば良いのでしょうか。

価値観や思い込みというのは幻想なのです。自分の体験・経験が作り出した、記憶の一形体にしか過ぎません。外資の人だったら、お金のために一生懸命働いている自分がかっこいい、出来る奴だという価値観を持っていたりします。その価値観で行動していて「ハッピー」なのであれば、変える必要はないです。しかし、その仕事自体に自己同一化してしまっている場合や、金に執着しすぎて不幸だなどと感じている場合は、価値観を変えて楽にしてあげる必要はあります。そして、その価値観(= ビリーフ)も「ビリーフ・チェンジ」というワークで変えることができます。

 

6、解決策は極めてシンプル

 

——公教育というのは誰もが認めるような教育である必要があると思います。新しい形の教育に、たとえ全人口の10%でも、「いままで通りの国語数学理科社会の教育の方が良くない?」と考える人がいたら受け入れられないと思うのです。

私は、いままで通りの国語数学理科社会、全部やりますし、それは必要だと思っています。そこにNLPのマインドを入れるだけでうまく行くのです。教え方が変わり、それが社会でどう活きるかを伝えてあげれば良いのです。私は今の学校の勉強は何も否定していなくて、むしろ全肯定しています。ただ、教え方が良くないのと、それがどう発展していくのかを教師が分からないまま教え、将来何に活きるか答えられないからいけないのです。だから学校の勉強は、「勉強のための勉強」止まりになっています。

 

——世の中にはロジカルシンキング型のアーカイブキャッチアップを得意とする人間と、クリエイティブ型の人間がいると思います。いまの学校教育は、高度経済成長期に必要とされた、前者のアーカイブをキャッチアップするための人間を大量生産するための教育だと思います。だから、国語数学理科社会という仕分けと指導要領があり、しかも答えが一つなのです。その結果、いまの日本には圧倒的にクリエイティブ型の人間が育って来ていないから、そういった人を教育で育てていく必要があるのではないでしょうか。

何事においても極端な二元論は危険です。そんな対立構造を作ってもあまり意味が無い。実際にはその間の人間しか存在しません。だからグラデーションにすべきなのです。

「守破離」ともいいますが、結局本当のクリエイティビティを発揮するためには、先ずアーカイブキャッチアップがちゃんとできないと無理だと思います。情報をそもそも取ってくる力もキャッチアップだし、クリエイティビティも、ほとんどは模倣から始まるわけです。だから、クリエイティブだけという教育をやっても、何も生まれません。単に、いまの指導要領の中で、「じゃあいまこの習ったことをどう使う?」というのを考えさせることで、クリエイティビティも同時並行的に伸ばして行くことは出来るのです。

 

——そこでまた問題なのが、今の教育って学習指導要領が決まっていて、それ以外のことをやると怒る親っているじゃないですか。

それは、その学習指導要領の中のテストなんかで、十分な結果を出せていないからですよね。その自由な発想を促す授業展開をやることで、よりいい結果が出せるのであれば、何の文句も出ないと思いませんか。まずは保護者を自分のファンにするのです。「あの先生が言うことだったら間違いない」と保護者が応援してくれる環境にします。和田中で校長をやっていた藤原和博さんがやっている[よのなか]科だって、既存の学習に乗っけようとしているのです。

 

——今の教育をどうにかしようと始まったのが総合的な学習の時間だったと思うのですが、うまくいっていないですよね。こういった試みがうまくいくためにはどうしたらいいのですか。

特別な時間とかをそもそも取る必要はなくて、日々の授業で入れてあげればそれで終わりなのです。今の指導要領の中でも普通に出来ます。斎藤孝さんの本の中に書いてあったことで、教師に求められる能力の一つに、「教材力」というものがありました。世の中には無数の教材が存在するが、教師にはその中から良いものをキャッチしてくる能力が必要だと書いてありました。私の英語の授業は、AKB48のヘビーローテーションのイントロクイズから入り、文法などを教えていきます。文法を覚えるのが嫌いな子達には、文法教えたらどんな楽しいことがあるかを教えてあげれば良いのです。いかに先生達が閉じた世界にいて、世の中に散らばっている情報をキャッチしていないか、びっくりしますよ。だって、学校で少し話題にしてみたら、ほとんどの先生が「勝間和代」も「藤原和博」も知らないのです!そうゆう人のことを知らないのが、普通の学校の先生なのです。

 

—−大半の先生は、そもそも学校で教えている勉強が、社会と繋がっているということをあまり意識していないか、知らないわけであって、その繋がりを感じることできたら、変わっていくものなのでしょうか。

そう思いますよ。ただ、それを楽しいと感じられるかどうかの問題ですね。何年か前のアディダスのCMを知っていますか?「Impossible is Nothing」というキャッチです。これを見て何を感じるかと、この前の授業で中学二年生に問いました。まずこのコピーは文法的に間違っています。「impossible」は形容詞だから主語にはなれないですよね。主語になれるのは名詞だけ。だから、「to+動詞の原型」で不定詞の名詞的用法があったり、動名詞があったりするのだと話すことができます。そして、倒置は英語でも前に出て来た言葉を強調する意味があるとも教えられます。最低限ここまでは教えなければならない。しかし更に言うと、この文は倒置する前の「Nothing is Impossible」=「不可能など無い」という文と全く違う意味になっているのです。それは分かりますか?これは、「不可能なんてどうでもいいんだよ」ってゆう意味なのです。「不可能なんてない」って言ってしまうと、矛盾を感じる人もいます。それはその通りで、もちろん世の中にはできないことなんてたくさんあります。だけど、そんなこと気にしなくて良いじゃない?やりたいことやれば良いじゃない?というのがこのコピーなのです。ここまで語れば、このCMはめっちゃ深いと思いません?中学二年生だから、「possible」って単語は当然教えなくてはなりません。ただ、その時に世の中にアンテナを張り巡らせていれば、こうゆう良い教材になるネタを発見することができるのです。「この先生とやってたらなんか面白い!」そう思わせることから、学びが始まるのです。

 

 

〜お話ありがとうございました〜